ijenaの文章

独り言とお喋りの間のようなブログ。

笑って過ごしたいじゃないですか、私はそう思います。

ストレスがたまったら

ストレスがたまったら教育番組をみます。

とても面白い。

「やぎさん ゆうびん」 という曲を知っていますか?

あれです、しろやぎさんから来た手紙食べてとりあえず手紙返すんだけど

その内容が「さっきの手紙の用事何? 」っていう

なんだそれみたいな、あれです。

そのあと、私は最近知ったのですが、その2番、しろやぎさんも手紙読む前に食べて、

とりあえず手紙を返す、っていう。

で、その内容が「さっきの手紙の用事何? 」っていう。

 

テキトーすぎる。

最初聞いたとき、くろやぎまじでひどいと思ったのですが、

おいしろやぎお前もか、というのか、

いや、手紙書いたの自分じゃん、返事気にならないのか

というのか、

もはやしろやぎさん、ほんとなんで手紙書いたの、最初の手紙に何書いたの? っていう…

しろやぎでもくろやぎでもない、手紙のやり取りに何も関係のない私が、私だけが手紙の内容を気にしているという…

おかしな構図が。

なんだろうな、何、もうお互いごはん送りあってるようなものなの?

あ、もしかしてしろやぎさん、くろやぎさんとやり取りできるんだったら内容なんてなんでもよかったのかな? …なんて考えたり。

でも結論、「しろやぎさんとくろやぎさんのやりとりなんだから、私は関係ない」とか「しろやぎさんとくろやぎさんの話。しろやぎさんとくろやぎさんがいいならいいじゃん」「たかが歌じゃん」となります。

いろいろこちゃこちゃ考えて、結局最後は全部水に流します。

小さいとき、こんなこと考えてなかったことは確実だけど、じゃあ当時の私はこの歌を聞いて何を考えていたんだろう……

きっと何も考えてませんね。

あー、やぎさんが手紙を書いて食べるやつー、とか

せいぜいその程度でしょうね。多分。

自分のことなのに、無意識に記憶から消えていることって確実にあるんですよね…。

 

まあそれよか。

最後、体操のお兄さんが大勢の子どもと簡易なダンスをしますよね。

あれみてるとなんだかおかしい。

はーい、みんなぱおーん、みたいなことをお兄さんが言って、お兄さん、すごく大きく動くんですけど、お兄さん、たくさんの子どもに向かって言ってるんですけど

子ども、9割5分は明後日の方向をむいてぽーーっとしてます。

残りの5分くらいのなかには真面目にお兄さんと同じことしている子もいるけど、

でもそんなのほんのほんの少しで、

5分のなかの9割5分くらいもまた、明後日の方向を向いてぽーーっとしながらなんとなく腕がお兄さんの指示通りに動いているかなー…みたいな。

お兄さん、一体誰に向かって話してるんでしょうね。

お兄さんの言葉は誰宛なんですかね。

なんか体操の光景が社会の縮図そのものな感じがして。

体操の光景を社会の縮図と置き換える自分、よっぽど疲れてんだな、と

思ったり、思わなかったり。

想像したらおかしかった。

上の人からの指示をもらうんだけど、上の人は目くじら立てて、まるでこの世の終わりのように、その指示が遂行されないと世界中の価値がなくなるみたいな、すんごい大げさなこと言うんだけど、

私含め、多くの部下はそれをテキトーに受け取って…いや、受け取ることもしないでおにぎりむしゃむしゃ食べてる、みたいな。

「おい! これをやれ! 」

「…お茶ください」

「次はこれをやれ! 」

「ん? 次って何の次ですか? 」

「全部終わったら報告しろ! 」

「わっかんねー…あ、トイレ行こ」

(おい、お茶はいいのか! )

みたいな。

思うんですよね、お兄さん本当は何がしたいんだろうなーって。

ぱおーん、じゃなくて腹減ったー、とかじゃないの? みたいな。

わかんないですよね、上の人にとって、下に指示を出す上の人にとって、もしかしたら本当に、その指示の内容はとっても大事で、その人にとっては世界なのかもしれない。

だったら…

だとしても私には世界ではないし…早くごはん食べたいし

みたいな。

そうそう、結局教育番組の体操の時間の子どもなんです。

ぽーーっとして。

 

だからこそ思うんですよね、大事なことが同じ人に会うってすごいというのか、

大事というか…。

すてき、というのか…。

 

はい、この流れ、次は恋の話ですね。恋の話をしましょう。そうしましょう。