ijenaの文章

独り言とお喋りの間のようなブログ。

他愛ない話

 

酔い覚めの麦茶がおいしい…。

 

今日書こうとした内容をすでに違うところで吐き出してしまったので

 

少しすっきりしています。

 

好きなタイプに「価値観の合う人」って答えるのは何なんだ?という話でした。

 

上から目線で嫌いなんですよね、言い方とかもなんか。

 

そういう言い方する人って割と人に合わせてもらいがちじゃないですか。

 

大切なものなど「価値があると思うものが同じ」という意味での言葉なら

 

趣味仲間の延長も含まれていそうでいいのですが。

 

それとも、デコとボコになった「お互いにかみ合う価値観」を探しているのか。

 

いや。

 

言葉選びからして寛容な雰囲気を感じられないので絶対にあれは

 

「自分にふさわしいレベルの人間」くらいの意味だろうな。

 

最近気づいたんですが、

 

言われて嫌なことばは、私の場合、これといって決まっていません。

 

私は話す相手の鼻息とかそういうのを気にしているような気がします。

 

鼻…息づかい!ですね、鼻だけじゃないです。

 

 

他愛ない話で本気になる癖なんとかしたいよ…。

 

お題「おとなになったなと感じるとき」

 

中学生のころ、高校生がとてもおとなに見えましたが

 

今では中学生と高校生の見分けがつきません…。

 

おとなになったというよりも

 

社会的におとなとみなされない年代と離れている感覚があります。

 

こんなことでいいのか…?

 

中学生のころ好きだったアイドルの当時の年齢を越えました。

 

あの頃はそのアイドルがとてもおとなに見えましたが

 

今の感覚ではまあまあ子供。結構若い。

 

年上が好みなのは変わらないけれど、いつかその人も

 

子供に見えてしまうのかもしれません。

 

ポジティブなものもあります。

 

それは、嫌な出来事を笑えるようになったことです。

 

中学生のころは永遠にイライラしていたような気がします。

 

今は他人や周りを軽く見下しながら…と書くと語弊がありますが

 

極力期待しないように

 

ひとりつっこみをいれたり、勝手にオチを作るようになりました。

 

(※例えば嫌なことをされたときは

 

「今回はいやがらせしてみました!ということでね」から始まるクソ動画を想像して

 

「おもんない企画だな…」と軽蔑してみるとか)

 

全てに正面から向かっていかなくていい、

 

斜め上とか、変なところから見てしまってもいい、とにかく

 

ストレスから逃げるようになりました。

 

私にはこどもがいないので

 

大人と子供の対比をする機会がありません。

 

家族ができたらその時は

 

おとなになったなと感じるのかもしれません。

 

 

お題「#買って良かった2020 」

 

今年もあと少しですね。

 

今日はお題に沿ったお話をします。

 

2020年、私が買ってよかったと思う物!

 

・ちょっといい酒

・有料音楽アプリの登録

・ブックスタンド

 

共通して言えるのは「雑音がない」ということです。

 

手間や無駄が少し削げた実感が持てたと同時に、

 

贅沢を実感できたのでノミネートしました。

 

そんなところにお金をかけなくてもいいと思っていた部分、

 

だけども毎日の生活に確実に食い込んでいる部分、

 

そういうポイントに数百円課金することで

 

確実に、ほんの少しではあるけれども、やっぱり確実に

 

楽しくなりました。

 

特にブックスタンドに至っては、

 

手で本を持てばいい話だったのが、

 

絶対に閉じない参考書の素晴らしさ、

 

机の幅をとらない参考書のストレスフリーを

 

知りましたね。

 

なんだか

 

「オシャレは暇な人間がすることだ」と

 

見下すような気持でいた昔の自分を思い出させます。

 

自分だって暇なくせにね。

 

 

いい買い物をした1年でした。

 

将来の可能性と現状は繋がっていない

 

目に見えないものは信じないと決めている。

 

だから化学など概念的な学問分野は苦手だった。

 

何を信じさせられているのだろう?

 

実は最近「話が暗い、重い」と言われて落ち込み気味の私です。

 

本人はそれ程落ち込んでいないし、

 

いつもこんな程度のテンションで過ごしている。

 

言葉にしたら印象がくっきりするのかもしれない。

 

一生懸命水やりをして育てた白菜を今日収穫したら

 

ナメクジの糞まみれで即廃棄になってしまい、

 

すごくもやもやしている。

 

私はこれまで2ヶ月、ナメクジの巣を作っていただけだったのか。

 

水の泡だ。

 

植物栽培は私にとって努力とは関係のない作業だった。

 

けども、努力や時間は長ければいいというものではない。

 

一度目で叶わなかった物事は叶わないと思うが吉だ。

 

再挑戦するたびに傷がえぐれていく。

 

実ったことはない。

 

やってみたがダメだった、

 

それでいい。

 

久々の長文で内容が点々としてしまうが、

 

どうして女は女になるとどうでもいいことにこだわりだすのだろう?

 

女の子から女に変わったと他人に感じさせる言動、

 

たいてい「よくわからない部分にイライラする」が当てはまるのではないだろうか。

 

興味ないんだよな、他人は。

 

でも、これだけ自信をもって人に怒れるのであれば、

 

そこには何かしらの正しさが確信があるのだろう。

 

なくても困らない、単に「ないと落ち着かない」程度のものだ。

 

どうしてそんなことに気づかないのだろう?

 

「不安」

 

性別は関係ないだろう。

 

不安は人の考えをかき混ぜることがあるし、それはわかる。

 

誰でもいいから慰めてほしいのだろうか。

 

見境はないのだろうか。

 

それは下品ではないのか。

 

私は女であり、けして「サバサバ系」ではない。

 

安価で動きやすい服しか持ち合わせていないだけで、

 

本当は、人生で一度くらい「量産型」になりたい、なってみたい、なってもいいだろう、

 

そう思っているタイプだ。

 

なぜ今更こんな暴露をしたかというと、

 

どうも自分は見た目の印象と実際の趣味嗜好に差がありすぎるらしく、

 

今までの人生で一度もかみ合ったことがないような気がしてきたのだ。

 

派手髪と強めの酒が好きだけども、ほの暗いところで踊り明かしとうない。

 

妙に高めの癖ありの声だけども、決してアニオタではない。

 

薄汚い髭が似合う年上がタイプだけども、ヒョロヒョロの年下がお似合いだと言われる。

 

とてつもなく気が強いというのに、ぶりっ子やら妹っぽいと言われる。

 

こちらは男よりも女を見る目に長けている自信があるというのに!

 

その辺のしょうもない男よりも女を立てる文言を知っている自信がある。

 

いつからそうなのだろう?

 

このブログを読む誰かのなかにも聞いたことがある人はいないだろうか、

 

「人にしてあげた良い行いは自分に還ってくる、だから

 

自分がしてほしいことは、まず、人にやってあげなさい」と。

 

私は根っからの優等生タイプだった(恐らく)。

 

きっと反抗期も思春期も無視した優等生タイプで、

 

性別も無視して、

 

ずっとずっとその考えを貫いて青春時代を過ごした結果が

 

「男よりも女がわかる謎の自信」につながったのだと思う。

 

男が言えばいいようなことを女が言う場合の多くは、

 

言ってあげる側の女が自分のプライドを削っていることが多い。

 

言わなくていいのだ、女としてのプライドがあるのならば。

 

予定だって合わせなくていいし、

 

言いたいことを合わせたり我慢したりしなくていい。

 

私は、今になって私は、

 

人生すべてが負けているような、いや、

 

負ける前から負けの道を静かに選んで

 

穏便に生きてきた気がしてならないのだ。

 

女に合わせるのも、女を褒めるのももういっそのこと男だけの仕事にすればいい。

 

どうして言葉はこんなに自由なのだろう。

 

形がないから、すぐに作れるから、理由はあれど言葉は最低だ。

 

自分にも人にも伸びしろは感じない。

 

見えないので。伸びしろって何ですか?

 

今頑張っていることや、何となく続けていることはきっとナメクジのトイレだ。

 

意味などない。食えもしない。

 

早く何もかも変わりたい。こっそりでいいから

 

見えないところから派手にしていって、知らぬ間に

 

外側に漏れ出せばいいのに。

 

宮崎駿が「外見は中身の一番外側」って言っていた(気がする)し、

 

よくわからないけども

 

時間軸は信じられなくとも、

 

じわじわ漏れてくる何かは本物であると信じてみたい。

 

 

面白くない話を書くならブログが一番だ。

 

そうはいかない

 

実際に事が起きる前に結果を予想したりしますか?

 

私はそれが癖になっていて疲れてしまうことが多いです。

 

原因はおそらく、想像を基にすぐに動かないせいだと思います。

 

先走りたくないのならば何も考えなければいいのですがそうはいかず。

 

「動きたくないけど考えてはいる」

 

そんな状況を作るのが得意です。

 

杞憂、それで終わることもあれば、逆にいいこともあります。

 

いい意味で想像通りならない場合です。

 

いいかどうかも自己判断でしかないですが。

 

最近の出来事で言えば、

 

クラスラインのメンバーを久々に流し見していたら

 

ご成婚された人がいて、

 

てっきり自分は、そういう人を見たら嫉妬で怒り狂うと思っていました。

 

そもそも名前以外知らない人なのも理由の一つなのかもしれませんが

 

怒り狂うことはなく、

 

呑気に「自分もそんな歳になったんだなあ」という

 

あたかも「近い存在」であるかのような感想しか出てこず、

 

数秒遅れで自分は馬鹿だなあと思いました。

 

 

近くねえよ。

 

 

学生時代の終わりは独身時代の始まりで、

 

私は今、その真っ只中にいます。

 

学生にしても社員にしても、横にいる人は皆

 

偶然居合わせているだけであって、

 

全員が絡み合う必要はないのです。

 

というよか、一部分の人とは必ず違う方向を向いています。

 

前にいる人、隅っこにいる人、あまりいない人、騒いでいて有名な人…

 

距離的に近いのでつい世界がそこだけで出来ているような感覚になります。

 

それでも時間が経つと、やっぱり知らない人の方が圧倒的に多い。

 

記憶から消えたのかもしれません。

 

「顔見知り」ということで幾分落ち着いて過ごせているのかもしれないけれど、

 

改めて考えるとあまりにも独りぼっちで、それはそれでこわくなってしまう。

 

もし仮に、同窓会たるものが開催されたとして、自分は出席したとして、

 

どこかの机が空いていたとして、

 

その席に対して「居ない」としか思わず、何の話も思い出せないとしたら

 

私とその人はどこにいたのでしょうか?

 

そういう「自分にとって何も感じられない人」が一人ではなく、

 

もしうじゃうじゃいるとしたら、

 

どうしてあの頃、あの中で、あんなに真剣だったのでしょうか?

 

見ている見られているの関係は幻だったのでしょうか?

 

もしかして、今の環境に対してもそんな風に思う日がいつか…?

 

 

全部想像の話です。気持ち悪いですね。

 

真面目にならなくていい理由を毎日探しています。

 

考えるだけで結果的にそうはいかないのですが…

 

元気のない時は

 

元気のない時はどうしますか?

 

梅雨ってだるくないですか?

 

今日はすごく体がぼーっとしました。

 

ちょっと前にペヤングの獄激辛が流行ったのを覚えていますか?

 

私は今日食べました。

 

どれだけしんどくても、辛い物を食べると

 

頭の中が「辛いな」だけになるのでオススメです。

 

悩みも何もかも、食べている間だけは吹っ飛びます。

 

辛い物を食べると馬鹿になる、と昔から言いますよね。

 

悩みが尽きないのは馬鹿になり切れないからだ、とどこかで聞いたことがあります。

 

ベストマッチではないでしょうか…「悩みには辛い食べ物」…。

 

良ければ試してみてください。

 

ちなみに獄激辛は酸味があって若干エスニックぽかったです。

 

私はピザ用チーズ150グラムと生卵1個を加えて完食しました。

 

あと、水を飲みすぎておなかがタプタプです。

 

ヤモリが二匹

 

ヤモリが二匹、家に出ました。

 

一匹は中に、一匹は窓の外にくっついていました。

 

家の中で見る前々日に玄関外にいたところを確認していました。

 

そのヤモリだったのか…

 

益獣らしいですね…虫を食べてくれるらしいです。

 

我が家にはそんなにご馳走があるのか!?

 

「虫だらけ」…。

 

益獣とは言えど、急に出てきたらびっくりしますよね。

 

可愛いような気持ち悪いような見た目…。

 

爬虫類・両生類好きの子に言わせれば

 

目が可愛いらしいですよ、まるくて。

 

私が家の中で見たヤモリは壁に垂直にくっついたまま走っていました。

 

凄いような、怖いような…。

 

尻尾も壁にくっつくんですね…すげえ。

 

結局、虫取り網で捕獲して外に出しました。

 

ヤモリは漢字で「家守」と書くのですが、

 

風水?的にもいいらしいですね。

 

ヤモリを見ると幸運が舞い込むらしいです。

 

何かあったかなあ~…

 

直後に香水の瓶を割ってしまったのですが…。

 

給料日は早まらないしなあ…。

 

二匹も見たら逆に悪いことが起きるんですかね?

 

まさかね。